はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
ひなたの記憶に残っている、あの日...
そう、あの日だ。
あの日は、永遠に忘れないだろう。
病院の個室の白いベッドに横たわっている父。
息をするのも苦しそうだ。
でも、懸命に何とか生きようとしている。
{まだ、死ねない。死ぬわけにはいかない。}
父は、必死に抗っている。
分かっている。
わたしのためだ。
窓の外に視線を移すと、凍てつきそうな冬の夜空だ。
今にも、雪がふりだしそうだ。
私は、どんよりとした暗い空を虚ろに見ながら、今までのことを思い出し始める。
父が個人医からの紹介で、この病院で精密検査をしたのは、一年くらい前だったかな。
肺に影があるからと言われてだ。
精密検査が終わって入院することになり、父が病室に行っている間に母と私が診察室に呼ばれた。
ディスクに座っている医者は、私と母を椅子に座らせ、静かに話し始めた。
「肺癌です。余命は6ヶ月といったところです。」
母が、小さな悲鳴をあげる。
私は、無言で医者を見ている。
2人の会話は続くが、私は、冷静に2人の様子を見ながら会話を分析している。
2人のやりとりは、かなり長く続いた。
最終的に、手術をすることに決まり、母が、
「お姉ちゃん、お父さんには黙っておこう。」
と私に訴えるので、私は、戸惑いながら頷いた。
それが正しいとは思わなかったが、正しいことが正解だとも思わなかった。
あれから、二回の手術にいろいろな治療を試みた。
入退院も繰り返した。
父は、何とか治そうと頑張っていた。
私の勤め先から病院が近かったため、入院中は会社の帰りに、毎日、父に会いに寄った。
父の姿を見れば安心出来たからだ。
一言、二言でも交わせるだけで十分だった。
それで、また、明日、頑張ろうと思えた。
毎日来る私に、父は、
「そんなに毎日来なくてもええよ。」と小さく抗議するが、私は、
「どうせ、帰り道だから。」と、笑って答えた。
半年が過ぎ、余命を越え、父は、日に日に、か細くなっていく。
私は、お店で見つけた小さな十字架を父の病室の窓際に置く。
神様に祈るためじゃない。
魔除けだ。
死神が窓から入れないように。
父を連れていかないように。
私の必死の抵抗だった。
窓際には、今も十字架がきちんと置かれている。
母が、そっと十字架に手を伸ばし、
「お姉ちゃん、もう、外すね。」
と、優しく尋ねる。
私は、小さく頷く。
父が苦しそうにしている。
何とか生きようと。
生きなければと。
主治医は、傍らで静かに待機している。
父が苦しそうに私に何かを言おうと喘いでいる。
私は、急いで父のそばに駆け寄り、苦しそうにしている顔を見つめながら、聞こえるように、はっきりと言う。
「大丈夫だから。私は、1人でも大丈夫だから。安心して。」
父の苦しそうな息づかいが穏やかになる。
{そう。大丈夫。私は、ちゃんと生きていけるよ。}
私は、無言で父に誓う。
父の顔に穏やかな笑みが表れる。
主治医が父に近寄り、脈を調べはじめる。
父は、穏やかな笑みのまま眠りにつきそうだ。
主治医が時計を見ながら静かに告げる。
「12月13日。..時..分.... . ..」
父は、行ってしまった。
私は、窓から空を眺め続ける。
あれから、何年も経った。
私は、今日も光りかがやく青空を見上げる。
{お父さん。私、ちゃんと生きてるよ。ね?全然、大丈夫だったでしょう。}
私は、誇らしげに胸を張る。
{でも、1人でじゃないね。いつも見守ってくれているものね。}
私は、空に向かって楽しそうに微笑む。