ミュウと日向の物語

【ミュウと日向の大学時代の物語】と【輝の行政書士試験に受かるまでの奮闘記】です。他の物語も書いていきます。🐈

すごい久しぶりになってしまってる🙊

ミルとココは、ケンカもするけど仲良し🍒最近、寒いからくっついて眠ります。

     

ブログに全然来れていない。

もう、すっかり浦島太郎だ。🐢

 

いや、待てよ。

ということは、誰も来ないから、好き放題かけるのかな🤔

 

とりあえず、ひとりごとでも…

さぼってたわけじゃあないと思うんだよね。

次から次に事件が起こるっていうかね。

 

まず、弟が救急搬送されて入院。一命を取り留めて退院。ここまでは良かった。

 

のちに、夫婦トラブル、借金問題などがサマザマなことが発覚。夫婦で、私と母が助けるべきだと主張する。

夫婦で働けばいいんじゃない???

 

ココ🐱が、いきなり弱って食べなくなる。

もう、弟家族のことなんか、どうでもいい!ココを助けて!

医者を探して走りまわる。

幸いにも名医に出会えて助かる。

今は、元気いっぱい。

 

英語ペラペラ話したいな。

2月から英会話教室に週一で通い始める。

先生方と相性が良くて、楽しい🍀

 

朝、家の周りの草むしりしていて、水漏れ発見。ガス屋さんよんで応急処置してもらって老朽化が発覚。

 

水回りのリフォームかあ🤔ちょうど近くでリフォーム完成後のお家見学会があったので見に行く。

あれやこれやとリフォームの計画が決まっていく。

どうせするなら、屋根も軽量化して外壁も塗って頑丈に。

そうだ!地震に備えて耐震したい。

南海地震が来ても、いきなり壊れないように。

逃げれるだけ、少しの避難の間でも耐えれるくらいの。

 

阪神淡路大震災クラスの地震クラスならびくともしませんよ。それより大きい場合でも逃げれます。🧐by担当者

 

よし!それでいこう!契約だ!

 

しばらくして、おばあちゃんが入院。おじいちゃんから、面会はできないと言われて家で待機。

1週間して、明日くらいに退院できるけど、もう、家ではみれないから施設にいれるっていきなり、電話で言われる。

 

施設見つかったら息子に病院から電話いくことになってるから。←おじいちゃんとおばあちゃんは再婚なので、おじいちゃん側の息子

 

え??でも、おばあちゃん、認知症ぽいけど、ちゃんと説明しないでいきなり??

家にいったん帰りたいんじゃあ??

お母さんが、おばあちゃんの実の娘なのに、一回も会えないの??

 

理不尽だ…

おばあちゃんが、かわいそう…

 

次の日、おじいちゃんから電話が来る。

 

施設、見つかったの??早かったね。

 

それが、病院から、危ないから来てくれって。

 

???

 

おじいちゃんから、しばらくして電話がくる。

 

おばあちゃん、亡くなったんや。

間に合わんかった。

 

???

でも、施設に行く前で。

なにも知らないときに行けて良かった。

 

お葬式も、おじいちゃんと息子が手配した。

行って、おばあちゃんに戒名がついてないのが分かる。

 

おじいちゃん、私、お金出すから、おばあちゃんに戒名つけてあげたいな。納骨の段取り、お坊さんとしてもいい?

 

あと、おじいちゃんのマンション、おばあちゃんと共同名義だから、こっちで、司法書士に頼んでおじいちゃんだけの名義にするね。

 

(おばあちゃんがいないなら、もう、いいや。)

 

お坊さんは、すごく優しかった。素敵な戒名を私と相談してつけてくれた。

戒名授与式も納骨も、素敵にしてくれた。

もう、思い残すことはない。

おばあちゃんも、とっくに成仏してるし、喜んでる。

 

年内まで、リフォームの前半までが終わった。

 

来年から、リフォームの後半が始まる。

 

こんな感じの一年だった。

 

一年を通して、学んだこと、分かったことは、私は今まで間違っていたんだということだ。

 

今まで、私は、弟家族、おばあちゃん家族、そして母の全てを均衡をとって、自分が犠牲になってうまくまわるように必死になっていた。

 

少しでもバランスが崩れるとすべてがガラガラと崩れるような気がしていたから。

 

でも、違う。

そんなのはじめから無理があったんだ。

 

それぞれの家族が、それぞれで自立して成り立たなきゃだめなんだ。

 

崩れるなら崩れたらいいんだ。

それが当たり前なんだから。

そして、それは、別に私のせいじゃない。

それぞれの人生は、それぞれに責任があるから。

 

私は、私自身の人生を進まないと行けないんだ。

逆に、それが、みんなを助けることになる。

 

今年も1日から、地震がおこって大変な幕開けだ。

なぜか、私のリフォームの担当さんが、七尾市に実家があって、新年一回目のリフォームで、私に被災の話を打ち明けてくれた。

 

不安でたまらなかったのだろう。

堰を切ったかのように正月に過ごしていた現地での話を続ける。

 

泣きそうな顔だ。

 

ああ、かわいそうに。

なんとか苦痛を少しでも和らげてあげたい。

私は、ずっと話を聞いてあげる。

 

話すだけで、少しでも楽になるのなら、いくらでも話を聞いてあげるよ。

 

名残惜しそうに帰る。

暗い顔だ。

 

余震が続いているし落ち着かないだろうけど、休めるときは休んでほしい。

何か力になれることがあれば、何でも言ってほしい。

 

私は、後でメールを入れる。

 

それが、私のこころからの思いだから。

 

全ての人が、ありのままで、楽しく平和に暮らせますように。

 

全ての人が光り輝く世界になりますように。

 

どうか、私の想いが届きますように。