ミュウと日向の物語

【ミュウと日向の大学時代の物語】と【輝の行政書士試験に受かるまでの奮闘記】です。他の物語も書いていきます。🐈

輝と保険屋との闘い- 戦闘準備2-

↑カテゴリー別のタイトルで、編集しました。【輝の行政書士試験】をクリックすると、ひかるの行政書士試験合格までの物語だけが、出ます。🐈







保険屋のババアとの闘いに備えて、尾崎整形外科で教えてもらった ‘ 第三者行為による傷病届 ’というものを、市役所勤めの麻美ちゃんに聞かなくては。

私は、麻美ちゃんに、近況とともに、教えてほしいとメールを入れる。

あと、ファミリーバイクも私の自動車保険に早速、付けないと。

私としたことが、迂闊だったな。

しっかり者のお母さんが、まさか、任意保険に入っていないとは、思ってもいなかった。

盲点だったな。

お母さんは、理系の私に、簿記の基本を教えてくれたり、お金の考え方を私に小さい頃から教えてくれた。

お金は、人に貸してはいけない。
貸すときは、あげたと思いなさい。

お金でトラブルと、生死に関わることにも発展しかねない。
綺麗にお金を使いなさい。

使うときは使う。出すときは出す。
金は天下のまわりもの。
綺麗に使うとお金は、倍になって返ってくる。

お母さんの教えは、正しい。
お金に好かれるように使いたい。


とりあえず私の自動車メーカーの担当の山路さんに、明日、電話して相談しよう。

山路さんは、かなり太っているけれど、細かいところまで、気がまわる繊細な人だ。
自動車のことは、もちろん、保険のこともプロだ。

私の自動車保険は、万全の体制のものに、してくれている。車に乗っていなくても、歩いてるときに事故に巻き込まれても、保険が下りる。


私を万全に守ることに、気を配ってくれている。

私は、車の整備が、出来ない。
洗車もちょっと....
というか、整理整頓が、苦手だ。

なにせ、私は、時間が足りない。
言い訳みたいだけれど...
本当は、不思議の国のアリスに出てくるウサギみたいなものなのかも。

メーカーのプロメンテパックというものに、勧められて入った。
オイル交換、定期点検、車検の時まで、山路さんは、私の会社まで、車を取りに来てくれて、会社が終わるまでに車を返してくれる。
返すときには、私の車を洗車して、車内をピカピカにして返してくれる。

お金は、多少かかるが、仕事中に全てが、終わるので、時間を無駄にしなくてすむ。ありがたいことだった。


その頃の私は、特にお金より時間だった。
時間をお金で買えるなんて、滅多に出来ないことだと思っていた。


ところで、麻美ちゃんとは小学生からの友達だ。

私は、大阪で生まれたのだが、小さいころに父親の転勤で今の地方県の市内に家族で引っ越してきたらしい。
市内のときは、社宅だった。

私は、生まれたときから、体が弱かったらしい。
赤ん坊のときから、よく高熱を出して、入院していたらしい。
幼稚園も、病気がちで、ほとんど行っていなかったらしい。

確かに、幼稚園のときの記憶が、数えるほどしか残っていない。

スクールバスを待って、友達と並んでいる記憶と、先生が「輝ちゃんは、打たなくていいらしいのよ」と予防接種を私だけ打たずに教室に残っている記憶、それに、卒園式の日に、先生が「この子は、ほんとに、もう」って言って泣きながら私を抱き寄せている記憶しかない。

小学一年生のときに、今の郊外に家を買って引っ越してきた。

市内の工場の排気ガスにやられて、私が喘息になり、お医者さんが、両親に、市内から出ないと治らないと言ったのが、原因らしい。

私は、とにかく手のかかる、心配させる子供だった。

転校してきたときに、後で友達に聞いたのだが、外人の女の子が、転校してきたと思われていたらしい。

私の髪は、その頃、赤茶色だった。
光に透けると、赤金髪みたいに見えた。

多分、私は、その頃、好き嫌いが激しくて、ほとんどのものを食べられなかったので、栄養の関係だと思う。

今では、黒すぎるくらい黒い。
黒くなったのが嬉しくて、髪を染めたことがない。

小学生になってからも、私は、両親を心配させ続けた。

学校の健康診断で、心電図が引っ掛かって、市内の大病院に、両親に連れて行かれた。

市内の大病院には、何回も連れて行かれた。
その度に、大量に採血された。
踏み台昇降をして心電図、軽く走って心電図、何だか動物実験のモルモットみたいだった。

行く度に、帰ってから両親は、いつも悲しい顔をしていた。

学校では、体育の時間に赤帽を付けさせられて、見学ばっかりになった。
赤帽は、危険な子供という意味らしかった。
つまらなかった。

ある日、また大病院に行って、いつものように大量に採血されて、モルモット運動をした後、大きい、陽が当たるロビーの長椅子に1人座って、両親を待っていた。

がっしりした体型の白髪の混じったお医者さんが、両親と、この病院の先生方と一緒に私のほうに近づいてきた。

がっしりしたお医者さんが、私の前に座って私の顔を見上げながらいう。
「すまなかったね。今まで、束縛してしまったね。」

「全く、ばかなコイツらのせいで!分かったな!解放してあげなさい。」とこの病院の先生方を睨みながら、怒鳴る。

もう一度、私の顔を見ながら、
「本当にすまなかったね。何も君は、悪いところなんかない。君は、自由だ。なんでも好きなことをしていいんだ。」と微笑む。

私は、びっくりして、「何でも?しちゃいけないことは、何も無いの?」と聞く。

「ああ、何もしちゃいけないことなんてないんだ。何でもしていいんだ。」と優しく言う。

私は、嬉しくて満面の笑顔で、両親を見る。

両親も、笑顔で、私に頷く。

がっしりしたお医者さんは、立ち上がって、「さあ、行きなさい。」と私を両親のほうへ促す。

両親は、お医者さんに何度も何度もお礼をして、私と病院を後にする。


後で、両親から聞いたのだが、あのがっしりしたお医者さんは、天理の病院の大先生で、心臓の権威らしく、たまたま、この日に、この病院に来ていて、私のことを知ったらしい。

とにかく、私は、この日から、赤帽を付けなくてよくなったし、普通に体育が出来るようになった。

私は、マラソンと水泳で、学校の代表で、県大会にも出れるようになった。


私の心臓は、ちょっと変わっているらしい。
診る人によって、今でも、正常になったり、異常になったりする。
自分でも、いまだに何なのか分かっていない。



あ!麻美ちゃんから、メールの返信が来た。




🐈続く🐈