ミュウと日向の物語

【ミュウと日向の大学時代の物語】と【輝の行政書士試験に受かるまでの奮闘記】です。他の物語も書いていきます。🐈

輝の会社の社長8

↑カテゴリーのタイトル別で、編集しています。【輝の4番目の会社のこと】をクリックすると、4番目の会社の話しだけが、見れます。🐈



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飛行機は、帰りは、三列シートの席で、隣が野中さんで、野中さんが、真ん中の席だった。

右腕が心配なので、ずっと、野中さんの腕に負担をかけないように、かばっていた。

重い荷物は、代わりに持って、機内サービスは、フォローして、(野中さんは、あまり英語が、得意ではない。)、手続きもフォローした。(野中さんは、実は、海外旅行が、これが、初めてだった。)

初めての海外旅行で、こんな目に会って、申し訳なく感じていた。
計画を立てたのが、私だったので、もう少し、ゆとりのある安全な計画にしたほうが、良かったのではないかと反省していた。

この反省を踏まえ、次回の慰安旅行の沖縄旅行には、四国営業所の営業の方たちと、同行させてもらうことにした。

沖縄るるぶを買って、営業の一人に渡して、(これを貸すから、悪いけど計画を立てて欲しい。)と頼んだ。もちろん、竹中ちゃんも一緒に同行する。

同じ営業所のメンバーなら、野中さんのペースも崩れないだろうと配慮したのだ。

ただ、営業さんが、張り切りすぎて、名所巡り満載で、息もつけないハードスケジュールにしてくれていた。
楽しかったが、帰ってから、体力を回復するのに、かなり時間がかかった。




沖縄旅行の物語は、また別に書きます。少しだけ、写真を載せたことが、あるので、【その他】をクリックして、良かったら見てくださいね。🐈


飛行中、私は、疲れきっていて、ほとんど眠っていた。
野中さんは、眠れないのか、横で、ずっと映画を観ていた。

私は、今日は日曜日だし、明日から金曜日まで仕事になるので、休んでおかないと、という気持ちもあった。

ただ、帰ったら、ミルとココに会えるので、早く帰りたかった。
3泊4日だったので、あの子達と夜に一緒にいないことが、これまで一度も無かったので、ずっと心配だった。

来る前は、スーツケースに服を入れながら、「1、2、3、ね、3つ寝たら、私は、ちゃんと帰ってくるからね。ちゃんと戻ってくるから、心配しないで、賢く待っててね。探そうと、外に出たりしないでね。夜は、寒いから、私の部屋ではなく、お母さんの部屋で一緒に眠るのよ。」と、教えるようにスーツケースに入って遊んでいるミルとココに言った。

旅行に行くまで、ことあるごとに、何度も何度も、繰り返し言い聞かせた。

ホテルでも、毎晩、お母さんにメールして、この子達の様子を聞いた。

ちゃんと、初日から、二匹は、お母さんの布団に、すぐに眠りに来たらしく、ちょっと安心していた。

飛行機が、ようやく、関空に着陸して、手荷物を降ろして、飛行機から出るのに並んでいると、後ろに、ちょうど四国営業所の松尾さんがいた。

私は、松尾さんに、「野中さんの右腕、骨折してるかもしれないから、気をつけて欲しい。」と頼んだ。

松尾さんは、びっくりしていたが、頷いてくれた。

野中さんは、飛行機に乗る前に、松尾さんにだけ、告白していた。

野中さんと、飛行機を降りて、スーツケースを取りに行って、出口に行く前の場所に、四国営業所の人達が集まっていた。

私は、挨拶して、野中さんのことを説明しようとすると、野中さんが、

「先に行って。自分で言うわ。」と、言うので、高野所長に一礼して、帰路に着いた。

ようやく、家に着いて、玄関のドアを開けると、ミルが出迎えてくれる。

「ただいま、ミル。賢くしてた?」と、頭を撫でてあげる。

ココが、後ろで、キョトンとして腰を抜かしてしまったので、
「帰ってきたよ、ココ。賢く、お留守番できたのね。偉かったね。」と、優しく撫でてあげると、必死に甘えてくる。

随分、我慢していたようだ。

お母さんに、お土産を渡ながら、旅行のいろんな話をした。

お母さんが、「大変だったわね。右腕、大したことないと、いいけど。」と、一緒に心配してくれる。

それから、荷物を片付けて、晩ごはんを食べて、お風呂に入って、ミルとココをいっぱい甘えさせてあげた。

夜は、二匹とも、私の布団で眠った。
久しぶりに一緒にいれて、安心して、私もぐっすり眠った。

次の日は、仕事だったので、ミルとココに、
「今日は、仕事だから、いつも通り、帰るからね。」と、言って出掛けた。


会社に着くと、西山所長が、
「おはよう、はなちゃん。香港は、良かったか?」と、笑顔で聞くので、
私は、一気に起こったことを話した。

「そうかぁ。なるほど、野中さんは、バチが当たったんやな。」と、西山所長は、頷きながら言う。

さらに続けて、
「高野?高野は、そんなに恐いやつじゃないけどな。でもな、はなちゃん。はなちゃんには、分からんやろうけど、営業所には、いろんなことがあるもんや。本社でも、結構、派閥とかあるしな。なんでも、問題は、あるもんなんやで。」と、私に教える。

{ふ~ん、そんなものなのか}と、
納得して、話して少しすっきりした私は、西山所長にお土産を手渡す。

「おお!こんなに、いっぱい。悪いな。ありがとう。」と、大喜びする。

その日は、来たお客様にお土産を渡して、香港旅行の楽しい話をして、みんなで、盛り上がって過ごした。

遠方のお客様にも、お土産にメモ書きを添えて、宅急便で送った。
後日、お礼の電話をいただいた。
タイガーバームは、やはり、大喜びされた。

どのお客様も喜んでくれて、その度に香港の楽しい話をして、「俺も、香港に行きたいなぁ。」と、さらに喜ばれた。


少し落ち着いて、水曜日の朝、会社に行く前に、急に野中さんのことが心配になって、病院に行ってどうだったか、尋ねるメールを入れた。

すると、野中さんから、
(心配してくれて、ありがとう。あれから、免許証やら、保険証やらの再交付の手続きをしたよ。病院は、行ってないの。まだ、痛いけど大丈夫だから。それに、仕事、休めないしね。)みたいな、返信が来た。

{はあ?病院行かずに、仕事行ってる。なに、考えてんだ。}

私は、頭に降りてきたセリフを一気にメールで送る。

「何、言ってんの。仕事なんか、後でも、出来るし、最悪、誰か来てやれば、いいわ。骨折して、そのまま放っておいたら、取り返しのつかないことになるわ。腕に後遺症が残って、一生、困ることになったら、どうするの?自分が困るのよ。誰も、責任取ってくれないわ。だいたい、あの腕の青黒さは、完璧に骨折してるわ。いいわね、今日、絶対に朝一番で、病院に行って。仕事は、休んで!」

これだけ書いて送ったが、返信は来なかった。

私は、言うことは、全てメールに書いて送ったので、会社に着いて、いつも通り、仕事をしていた。

お昼休みで、お弁当を食べていると、野中さんから、メールが来た。

「今朝は、メールをくれて、ありがとう。あんなに、私のこと心配して、腕のこと見ててくれたなんて、嬉しかった。それで、あの後、高野所長に電話して、会社を休んで病院に行ったの。病院の先生に怒られたわ。(なんで、すぐに来ないんや。このまま、放ってたら、大変なことになるところやったんやで。腕が曲がって、元に戻らなくなるとこや。最悪、後遺症に悩まされるとこやったんやで。って。)本当に助けてくれれて、ありがとう。やっぱり、花田さんの言う通り、右腕、骨折してたの。」と、書いていた。

私は、メールを返信して、くれぐれも、無理しないように、治療に専念するように伝えた。

その後、野中さんは、仕事をしながら、病院に治療に通った。

骨は、なかなかくっつかず、ギブスを外すのに、2ヶ月かかった。
更に、リハビリに2ヶ月かかって、ようやく、完治した。