ミュウと日向の物語

【ミュウと日向の大学時代の物語】と【輝の行政書士試験に受かるまでの奮闘記】です。他の物語も書いていきます。🐈

輝の趣味~ヨガとココのプチ家出3

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ヨガ教室は、3年続いていた。
3年も教室を続けられるのは、私には、珍しいことだった。

たいてい、教室の先生にアクシデントが起こって教室が無くなるので、私が習える期間は、いつも短かった。

絵画の先生なんか、三回だけ習いに行って、
「美術館の仕事の依頼が、入ったので、今日で終わります。」と告げられて、終了された。

ろくに教えてもらえなかったし、挙げ句の果てに、私の絵を見て、
「どこで、習っていましたか?」と、何回も繰り返し聞いた。

私が、「どこでも習っていません。」と答えても、嘘だと思い込んで、信じてくれなかった。

実際、私は、高校の美術の授業でしか
習ったことがなかった。

まあ、何のお手本も無しに、
「好きなもの書きなさい。」と、
言われて、ギリシャ神話みたいな風景に、月桂樹の冠をかぶった、岩に座っている女神と、ひざまずいて女神の足を拭いているニンフとかの絵を書いたからなのだが...


ちょうど、志穂先生も同じことを思っていたらしく、ヨガをしながら私に、
「花田さんも、長くなったわね。」と、笑いながら言う。

「はい。」と、私も笑顔で答えて、

{ずっと、このまま、何事もなく通えたらいいな。}と思っていると、

「でも、志穂先生。昔、交通事故にあって、しばらく教室休んで、代わりの先生がしてたときもあったのよね。」と、横田さんが、笑いながら言う。

「大変だったわ。赤信号で車を止めていたら、後ろから思いっきり追突されて、顔からフロントガラスに突っ込んだのよ。眼鏡は割れるし、顔は、血まみれになってるし。しばらく、何が起こったか、分からなかったわ。」と、志穂先生は、笑って言う。

{いや、笑いごとじゃないし...なんか、嫌な予感がしてきた..}


週一回のヨガは、志穂先生が、いろんなことを教えてくれるので、体調が良くなるし、何より気分転換が出来た。

志穂先生は、視力が良くなる方法とか、寝違えて首を捻ったときの治し方なんて、便利なことも教えてくれた。

ヒーリング的なことも教えてくれた。
うつ伏せに寝た相手を、肩から足先まで、手で掃くようにして、悪いものを出す方法だ。

確かに、これは、すごく効果があって、これをした後は、体が軽くなって、すっきりした。

だから、これは、家でお母さんに、よくしてあげた。
お母さんは、気持ちいいみたいで、
「ああ、すっきりするわ。ありがとう。」と、いつも喜んでくれた。

志穂先生も、私に、よくしてもらいたがった。
私のは、特に気持ちがいいらしい。

ただ、志穂先生は、私に忠告した。
「悪いものを完璧に出さないと、自分に返って来るから気をつけなさい。プロのヒーリングの人でも、あまりやると、調子を悪くすることが有るんだから。あまり、むやみやたらに他では、やらないようにね。」と。

私は、きちんと聞いて、お母さんにだけ、するようにした。

3年の間に、ヨガの教室は、辞めたり入ったりと、人の入れ替えが激しかった。

私より前に入っていて、長かった先輩方も、随分辞めていった。

家庭の事情だったり、会社の転勤だったり、なかなか授からなかった赤ちゃんが出来たとか、逆に病気になったりとか、いろんな理由で辞めていった。

辞めても、次に新しい人が入るので、いつも教室には、同じくらいの人数がいた。

始めから仲の良かった横田さんと河合さん、それに、気を許すと、すぐにヨガマットの上で寝てしまう80歳くらいの片岡さんは、ずっと続いていた。

横田さんと河合さんとは、いろんなことを話すようになっていた。

横田さんは、私よりもずっと前から、この教室に通っている。
ご主人と2人暮らしで、今は6匹の猫がいる。

6匹とも保護猫らしく、
「6匹も飼うつもりなんかなかったのよ。昔は、もっと、いたのよ。みんな、もう高齢で、大変なの。おしっことか漏らすしね。目も悪いし。」と、笑いながら教えてくれた。

志穂先生も、以前は会社で働いていたらしいが、辞めて、学校に行って、トリマーの資格を取って、トリマーをしていたらしい。
今でも、たまに頼まれて、トリマーの仕事もするらしい。

志穂先生も、高齢になったシーズー犬を家で飼っていて、やはり、目が悪いので、お世話が大変らしい。

トリマーをしながら、ヨガ教室に通い始めるようになって、ヨガの先生になったらしい。

志穂先生は、今は軟体動物みたいに、体がやわらかいが、
「昔、ヨガを始めた頃は、私も体がカチカチで固かったのよ。」と、

私が、「体が固いので、ヨガの先生には、なれないと思います。」と、言ったときに、教えてくれた。

河合さんは、市内の、ヨガ教室近くの会社で、勤めているらしく、
「東京のイベントの出展が大変なの。」
と、よくぼやいていた。
よく、イベントの出展で、遠方に出張に行っていた。

一度、平日に、私が銀行から会社に戻る途中で、ちょうど横断歩道を渡ってくる河合さんとバッタリ会った。

河合さんは、
「すごい偶然!やっぱり、運命的ね。」
と、大喜びしていた。

私も、「こんな仕事中に、ばったり会うなんて、すごい確率よね。なかなか、無いわ。」と、はしゃいで言った。

本当に、このまま、ずっとヨガを一緒にやっていけると思った。

河合さんは、アトピーがひどくて、見ただけでも、皮膚が痛そうなところがあった。
たまに、ひどいときは、背中から血が出ていて、触ると痛そうにするので、ペアのときは、優しくしていた。

志穂先生は、「いい薬があるのよ。」と、ヨガが終わった後に、いろいろ河合さんにアドバイスをしていたが、一向に良くなる気配がなかった。

ミルとココが来たときも、その度に2人に、写真を見せて、いろいろ話した。

横田さんは、「器量良しな子ばかり、来るわね。」と、喜んでくれたし、

河合さんは、「本当に、美人な綺麗な子ばかり、来るわね。」と、笑っていた。

3人で楽しく、ずっと、ヨガを続けられると思っていたのだが、急に、河合さんが、教室に来なくなった。

横田さんと、心配していたのだが、理由は、分からなかった。

そんな頃、ヨガから家に帰って、家の玄関のドアを開けると、ココが、外に飛び出した。

「ココ!」



🐈続く🐈