ミュウと日向の物語

【ミュウと日向の大学時代の物語】と【輝の行政書士試験に受かるまでの奮闘記】です。他の物語も書いていきます。🐈

輝のつぶやき-保険の憂うつ2

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あれは、まだ確か、20代前半だった。
大学を出て、一番目の会社、クィーン化学株式会社にいたときだ。

私は、研究室にいて、仕事を楽しんでいた。研究室は、私を入れて6人だけだった。だから、いろんなことをさせてもらえていた。

ガスクロマトグラフィも使わせてもらえたし、他社の製品の成分分析もさせてもらえていた。新商品を任されて、処方を開発してスーパーのチェーン店で、売ってもらえてもいた。マグネシウム入りの液体肥料の処方を作ったのは私だ。
あれは、なかなか難しかった。

研究室は、紅一点だったけど、みんな優しくて家族みたいだった。
研究室の他に、事務所と工場があって、少し離れた場所に試験場もあった。
本社は、大阪にあって、営業部もそこにあった。
みんな、いい人ばかりだった。
仕事も楽しくて、最高に幸せだった。



なんで、病院なんかに行く羽目になったんだっけ?

そうだ!思い出した。

私が着替えていて、最近、太ったのかな?ジーンズが入りにくいなって思っていたときに、
お母さんが「お姉ちゃん!そのお腹どうしたの?」って顔色を変えて近寄ってきた。

あ、お母さん。最近、太ったみたいで下腹が出ちゃって。体重は、変わらないんだけど。運動不足なのかな?

なんか餓鬼のお腹みたいになっていた。

「お姉ちゃん!何、バカなこと言ってるの!普通じゃないわよ。すぐに病院に行かないと!」

次の日に、会社を休んで、お母さんに連れられて、市内の大病院に行った。

いろいろ検査されて、お医者さんに言われた。
「左の卵巣が大きくなってるのが原因です。こんなに大きくなっていて、もし、破裂なんかしていたら、大出血して病院まで間に合わないところでしたよ。」

お母さんが、青ざめる。

お医者さんは、続ける。
「これ程の大きさだと、良性でも悪性でも、病名は左卵巣腫瘍になります。」

お医者さんは、私の顔を見ながら、
「良性か悪性かは、お腹を開けて調べてみないと分かりません。」と静かに言う。

お母さんが、「そんな!この子は、まだ若いんですよ!」と泣き出す。

「とりあえず、早急に手術しないといけません。破裂でもしたら大変です。いつ、破裂してもおかしくない状況です。」

私が「でも、会社の仕事が途中ですし、」と言い出すと、

お母さんが「お姉ちゃん!何言ってるの!それどころじゃないでしょう!」と怒る。

{でも、破裂する気がしないんだけど}
心の中で、つぶやく。

お医者さんが、お母さんを宥めて、てんやわんやの大騒ぎになっていた。

あとで一旦家に帰った夜に、二階から下をこっそり覗きにいったときに、お父さんとお母さんが2人で、「なんで、あの子がこんな目に」って泣きあっているのを見て、
ああ、私は、無茶苦茶、親不孝な娘だなと反省したのを覚えている。

手術前に入院して、お医者さんが、手術の説明をした。お父さん、お母さんも一緒に聞いていた。
「手術は、全身麻酔になります。お腹を開いて、左卵巣を取り出します。このときに、組織検査をします。もし、悪性だった場合は、右卵巣と子宮も取ります。卵巣癌は、サイレント癌とも言います。静かに速いスピードで転移していきます。これだけの大きさになりますと、もうそれしか方法がありません。組織検査の結果をご両親に言いに行きます。そのときに最終判断をしてください。」

両親が、青ざめる。お父さんが、かろうじて「分かりました。命が最優先です。」と言って唇を噛みしめる。

{え~ それだったら死んだ方がマシかも。っていうか、その場合は、もう末期で何しても、どっちみち助からないんじゃないかな} と罰あたりなことを
思う。

その頃の私は、まだ若くて青かった。

今だったら、違うことを思う。
どんな形でも、寿命ある限り、生きているということに価値があるのだと。



🐈続く🐈